見た目は味噌のようですが、風味は醤油そっくりという不思議な調味料。もろきゅう風にきゅうりスティックにつけて、ご飯にそのまま添えて、チーズに乗せたらお酒飲みは堪りません。発酵菌が生きているので開封後も風味が進化します。成長と熟成をお楽しみください。
70gビン入り、要冷蔵
1,512円[税込]
古代ひしおは奈良時代、天平人が味わっていたであろう大豆の発酵調味料を奈良県内醤油業有志が奈良食研究会、奈良県工業技術センターの支援を受け、できるだけ当時のままに再現したものです。味噌も醤油も無かった時代、このひしおがあればお魚などの料理がどれだけ美味しくなったことでしょう。昔人の美味しさへの憧れ、情熱をこの古代ひしおを通して感じてみませんか。醤(ひしお)とは、肉や魚、野菜、穀物などを塩漬けにして発酵させたものの総称です。中国では3000年前にその存在が記録されています。材料によって肉醤(ししびしお)、魚醤(うおびしお)、草醤(くさびしお)などがありましたが、紀元2世紀ごろ、大豆を主原料とする穀醤(こくびしお)が主流になります。動物が原料の塩辛状のものから大豆原料の味噌状のものに進化したわけです。大豆は長期保存できるので遠方への郵送も可能、食べごろが長く(今でいう賞味期間でしょうか)なにより美味しいことが決め手であったと思われます。
紀元前5世紀、論語のなかに
「その醤を得ざれば喰らわず」とあります。「食物それぞれに適した醤が手に入らないならいっそ食べない」
と駄々っ子のようなことを仰っています。孔子様は醤にこだわりがあったんですね。
時代は下がって5世紀に表された最古の農業書「斉明要術」の中に「作醤法」の項があり、醤の作り方が詳細に載っています。それから200年後の奈良時代に作醤法が伝わって来ていた可能性は十分考えられます。
日本人も負けてはいません。弥生時代の住居跡から早くも塩辛の遺物が発見されています。弥生時代には製塩が始まっています。中国から穀醤が伝わる前に私たちのご先祖様は肉醤を味わっていました。
701年の大宝律令に「主醤」(ひしおのつかさ)という官職名の記述があります。宮廷の料理、宴会を司った部署の中で醤が作られていたのです。いうならば国立醤製造所ですね。
さて、万葉集に長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおまろ)という人が醤を詠んだ歌があります。
醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿 所見 水ク乃 煮物
ひしおすに ひるつきかてて たいねかふ われにな みせそ なぎの あつもの
醤酢と蒜(ノビル)で鯛を食べたい!水草の煮物なんて見たくもない!の意です。
グルメというか、食いしん坊ですね。万葉人が醤を大事にしていたことが伝わってきます。
その後、927年の延喜式には京の都平安京では市中に醤を売る店が十数軒あったと記されています。
人々に親しまれてきた醤は、醤油や味噌が広まるとともに、やがてその姿を消し、製法も忘れ去られました。
美味しいものを食べたい、美味しく食べたいという情熱や憧れを再現された古代ひしおを通して、感じていただければ幸いです。
奈良県醤油工業協同組合のホームページもご覧ください。
製法やレシピなど詳しく載せております。
https://nara-shoyu.jp/hishio
名称 | 古代ひしお。 |
---|---|
原材料 | 黒大豆、大麦、こうりゃん、食塩 |
内容量 | 70g |
備考 | 発酵菌が生きている(なま)ですので、要冷蔵です。配送もクール宅急便を利用します。 |
リサイクル | 容器:ガラス、ラベル:紙 |